スポンサーインタビュー【富士酸素工業株式会社様】

富士酸素工業株式会社様インタビュー

Profile

望月 悠平(もちづきゆうへい)

富士酸素工業株式会社 代表取締役

昭和59年生まれ。富士市吉原で生まれ育つ。学生時代はサッカーに明け暮れ、中京大学時代には全国ベスト4の原動力として活躍。大学卒業後は家業を継ぐための修行期間を経て、30歳で富士市に戻り、富士酸素工業に入社。35歳の時に同社代表取締役となる。
2022年に創業100周年を迎え、次なる100年を見据えて「プロミス」を策定。掲げた約束を実践し、社員と共に地域社会への貢献を目指して邁進を続ける。

プロミスに込めた思いを教えてください

当社は2022年に創業100周年を迎えました。偏にお客さまや取引先パートナー、地域の皆様の多大なるご支援のおかげです。
この100周年という節目を機に、私たちは新たに「プロミス」を策定いたしました。これまで100年続けてこられた理由を見つめ直し、さらに次の100年、大きく変化し続ける時代の中で私たちが存在する意味を見出し、ステークホルダーの皆様や地域社会にどう貢献していくのかを明確にしたい。そんな思いから、社員と共に考え、言葉にまとめ、これを実践していくことのお約束としてプロミスと名付けました。プロミス策定の過程を通して、改めて進む方向を確認することができたと感じています。

【プロミス】
きたいで満ちた日常を
FUJISANSOは、これからもずっと、
酸素やガスをはじめ気体を扱う技術と、いつもそばで期待によりそう人の力で、
持続的な地域の日常を支えていきます。
信頼をつないで、最適をカタチに。未来をつむいで、ワクワクを共に。

これから進む方向性とは?

実はプロミスの「きたい」には3つの言葉をかけています。そこに私たちの思いが込められてると考えています。
1つは私たちの商材である「気体」です。これからも初志を忘れずに歩んでいきたいです。
2つ目は、未来への「期待」です。時代は目まぐるしく変化しています。どんな状況下でも明日に期待をもち、邁進できる会社にしていきたいです。
3つ目は、「来たい!」です。当社は地域の皆様に育てて頂きました。自分達の力だけでは100年も会社を続けることはできなかったはずです。改めて地域の中で生かされていることを実感しました。ですから、富士市を市外の方から「来たい!」と思って頂けるような魅力ある地域にしていきたいと思います。そのためには、自社だけの活動には限界がありますので、他の企業やまちづくり団体等と積極的に連携していきたいと考えています。F-designのスポンサーを引き受けさせて頂いたのも、そのような考え方に根ざしています。

これからの社会にはどのような人材が求められると考えていますか

社員の成長が積み重なって会社は成長します。そういう意味では、学び続けて自己を成長させることができる人材が求められると思います。
あとは、当社ではコミュニケーションを大切にできる人材を育成していきたいと考えています。お客様、地域の方々、社内の仲間に対してもそうですが、相手がどのような気持ちなのかを理解すること。その上で自分の言動をコントロールできる力が非常に大事であると感じています。

社長は子どもの頃はどんな少年でしたか?

私は吉原の生まれですが、やんちゃでいたずら好きな少年でした。周りの友達がサッカーをやっていたのがきっかけでサッカーを始めました。その頃は漠然とサッカー選手になりたいと思っていましたが、中学の時に現実を知り諦めたのを覚えています。

どうして諦めたのですか?

吉原第一中学のサッカー部時代にチャンスに恵まれ、静岡県内の優秀な選手が集まる練習会に参加をさせて頂きました。そこで、当時の年代別の日本代表に選ばれている選手の身体能力や意識の高さを肌で感じることができました。その時に、良い意味で自分はサッカー選手にはなれないと見極めることができました。良い意味というのは、現実的にサッカー選手になるには努力だけでは及ばない領域(先天性の能力)がある。自分にはその才能はないが、他の分野で生かせるものを持っているのではないか、という前向きに捉えていたように感じています。

中学3年生の自分に声をかけるとしたら、どのような声をかけますか?

「サッカーを頑張れ。そして、勉強はもっと頑張れ!」です。

その後もサッカーを続けられたのですか?

大学までサッカーを続けました。たくさんのご縁に恵まれ、大学時には全国ベスト4を経験することができました。大学卒業時には、サッカー選手にならないか?という声もかけてもらいました。

なぜサッカー選手にならなかったのですか?

大学卒業する少し前に、今は亡き先代の父から会社を継いでほしいと言われました。父はこれまで一度もそのようなことを口に出さすことはありませんでした。好き放題にサッカーをやらせてもらった両親には心から感謝をしていました。そういった気持ちが常にあったので、すぐに会社を継ぐために修行することを決めました。その決意があったため、自然と大学でサッカーは終わりにする、という線を引くことができたと感じています。

F-designに期待することはなんですか?

富士市が魅力ある地域であり続けるよう、当社も微力ながらお手伝いをしたい考えています。F-designを応援することもその一環です。F-designは20代・30代のメンバーが多いと伺っています。若い世代の市民を巻き込んだユニークな活動を展開されることを期待しています。当社とも何か一緒に取り組みことができたら良いですね!

富士酸素工業株式会社

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